2015年3月9日月曜日

ひとつの到達点

 あれから7年。
当Barkenが、プロイベントに走り出した切っ掛けとでも言うべき記念すべき日からあっと言う間に7年もの日々が過ぎた。そして昨夜、到達点に辿り着く事が出来た。

7年前、
BluesGuitarMaster塩次伸二氏が、当店のリハ終了後本番を前に、持病の心臓発作でお亡くなりになった。その夜は、明け方まで電話が鳴りやまず妹尾氏にその旨伝え、店を閉めた。
翌日、日本全国からR&B、Blues、Rockミュージシャンが当店に集結し待合室代わりに使った。その当時私は、業界の事も知らずプロミュージシャンの顔も分からず、大変申し訳なかったと思っているし残念だった。
葬儀も佐野で行われ、並んだ生花の数は100までは数えたが多分140とかそんな数だったような。そして塩次氏を良く知らない私の目に飛び込んできたのは、祭壇の左右に飾られた「ムッシュかまやつ」と「チャー」の名札だった。
当時はまだmixi全盛だった頃で、その中で「Barkenは不吉な所」とか「Barkenはヤバい」とか実しやかに言われている様子を友人が教えてくれたのだ。
「このままじゃいかん!」と思い、妹尾隆一郎氏を通じ知り合ったプロの方々にお出で頂けるよう取り計らってもらった。が、まだまだそれでも事情通にはダメなようで
「健さん、塩次さんの近々の人たちはまだダメみたいですよ!」

 そんな永年の想いが昨夜やっと現実となったのだ!
これ以上近い人はいない!と言える方々に来て頂けた事を心から感謝し嬉しく思う。またそれは当店の誇りでもあり、拠り所になる。そして改めて、新しいステップを踏める。
この道を開いてくれた、写真の後ろ姿の女性に大いに感謝している。多分ご本人も何か得れるものがあったのではなかろうか!?


 余談になるが、昨夜の打ち上げで
最後はミュージシャンだけとなり、私の今迄の込み上げてくる胸の内を伝え、全員に塩次氏の写真の周りにサインを頂いている時、私の目頭はまっかっかだったのだ。そしてミュージシャン達と、橋渡しをしてくれた女性と私は熱いハグをさせて頂いた。通常私は挨拶代わりのハグ等好きではないのだが昨夜は心からハグしたかったのだ。本当は、嬉し泣きでワンワン泣きたかったのだ。・・・とても気持ちよく呑み過ぎた私は今朝、目が覚めたら店のソファーだったけどね。

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